
| 私たちの視覚機能は、「可視光線と言われる領域の電磁波が、その受容器としての錐体細胞、カン体細胞を刺激、発生した電気信号が視神経細胞を通じて大脳皮質に伝える機能」であり、その伝えられた電気信号に基づいて、脳内でこの世界像を造り出しているの |
非物性秩序の世界(イメージ) |
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私たちはその限られた範囲の電磁波を視覚機能で捉え、電気信号に変換、その電気信号に基づき、脳内でこの自然像、世界像を造り上げています。何度も言うように、私たちが見ているこの世界が、そのままの姿で私たちの外に存在しているのではありません。赤いバラの花がそこにあるのではなく、私たちが、脳内で赤いバラの花の像を造るきっかけとなる周波数の電磁波を反射する何らかの秩序があるだけなのです。| 「では、私たちを含め私たち生物が、それぞれの感覚機能に基づいて認知する以前の世界とは、一体、どうなっているのでしょうか?私たちが、私たちの視覚機能に基づいて認知する以前の自然界の姿とは、一体、どんな姿をしているのでしょうか?」 |
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カプラは『原子レベルにおいては、古典物理学でいう堅固な物質的対象は確率の波動的パターンのなかへと溶けこんでいく。』として、究極的には「古典物理学でいう堅固な物質的対象」つまり「物質」なるものは存在しない。そして『原子物理学にあっては、最終的にいかなる「物」をも見つけだすことはなく、つねに相互作用をもって終わるのみである。』として、すべては相互作用の結果であると言っているのです。| では、本来の自然界はどうなっているのかということになりますが、それはカプラが言う、物ではないもの(物理学の世界では「非局在性」という言葉を使うようですが、私たちはこれを、物ではない秩序ある存在として「非物性 |
ボームの量子論(ペンネローズのねじれた四次元より) |
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| 秩序」と呼んでいます。)の相互作用の世界であり、その非物性秩序と非 |
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人の認知機能という観点から物理学を見直すと、カプラの言う古典物理学とは、認知機能により造り出された自然界を対象とした物理学のことであり、原子物理学とは、私たちの認知機能で捉える以前の本来の自然を対象とした物理学であると言えます。
物理学に神経生理学の観点を持ち込むことに違和感を持たれる方が多いかとは思いますが、これもよくよく考えてみれば、何もおかしいことではありません。私たちは何をするにも、何を考えるにも、人という種としての認知機能から離れることはできないのです。そしてその範囲内でしか自然界やその現象を認知できず、それをもとに思考することしかできないのです。
科学は科学の客観性を確保しようとして、個々人の主観から離れることはできても、決して、人という種としての主観からは自由にはなれないのです。
物理学の世界では、古典物理学をマクロの世界の物理学、原子物理学をミクロの世界の物理学というように分けて考えているようですが、本来の意味からいえば、古典物理学を「認知後の自然界の現象を対象とする物理学」、原子物理学を「認知前の自然界の現象を対象とする物理学」とに分けて取り扱ってはどうかと考えています。
空があり、星があり、海があり、山があり、鳥が飛び、魚が泳ぎ、私たちがいる。今、私たちに見えているこの自然界は、私たちの認知機能が造りだした世界像であり、私たちが認知する以前の本来の自然界の姿は、「物質」も「空間」も「時間」も無い、無限に織りなす非物性秩序の相互作用の世界なのです。
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私たちが現実と認識する認知後の世界のことを「顕在現象の世界」、私たちが認知する以前の、自然界の本来の姿である無限に織りなす非物性秩序の相互作用の世界のことを「潜在現象の世界」として考えていただくと理解して頂きやすいかもしれません。私たちが直接、見ることも、聞くことも、味わうことも、触れることも、嗅ぐこともできない世界という意味では、「潜在現象の世界」という言葉は実にぴったりと来ます。 |
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(顕在現象の世界と潜在現象の世界)
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| 私たちが現実と認識するあらゆる存在や現象(=顕在現象)の背景には、その背景となる非物性秩序の相互作用(=潜在現象)があります。私たちが空、海、星、宇宙、分子、原子、電子、素粒子、体、臓器、細胞、遺伝子、病気、症状、鳥、魚、犬、猫、パソコン、テレビ、家、自動車と認識する全てのものに、その背景となる非物性秩序の相互作用(=潜在現象)があります。私たちは潜在現象の世界の法則(非物性秩序の相互作用)に基づいて起こる現象の結果を、私たちの頭で顕在現象として認知していると言えるのです。 |